いないことにされている子どもたち
仕事で新聞をよく読みます。
数日前に某新聞のほんのちょっとしたコラムに、高校生が自分の子どもが生まれたことを想定した作文が掲載されていました。
虐待や高校生による殺人事件が起きている昨今なので、命の大切さを教える授業の一環なのでしょうが、私は血の気が引きました。
高校2年生のときに、母の奇行に耐えられなくなり、父に「入院させなければ学校辞めて家を出ます」とお手紙を書きました。言っても聞かないと思ったので、お手紙のほうが異常事態感が出るかなと思って。
結局は入院とはならず、私は先に家を出ていた長兄の元に身を寄せました。
こんな高校時代だったので、ぼーっと受けている授業がそのような流れになっていたら、走って逃げていたかもしれません。
いつからそう考えていたかは明確には覚えていませんが、私には結婚や出産という人生はないだろうな…とぼんやり考えていました。
多分、それは私だけではないと思うのです。
最近でこそ「毒親」とかそんな言葉を聞くようになりましたが、それでもまだ大きな声で話すことではないので、表面化しないのでしょうが、私のように親が精神疾患にかかっているケース、虐待を受けているケース、それも身体的な暴力、精神的な暴力さまざまあるでしょう。
そのような家庭環境でも「夢は結婚して、ささやかな家庭を育むの(ハート)」なんて言える子どもがいるなら、とんでもない鋼の心の持ち主です。
同じ教室にいる、キラキラと目を輝かせて将来の子どもへの想いを語る同級生を見ながら、この「いないことにされている子どもたち」はなにを考えるのだろう…と。
平然を装ってやり過ごしながら諦める?
なにもわかっちゃいない大人を睨みつける?
この世に闇なんてないと信じきっている幸せそうな同級生を羨む?
私だったら、どうするかなあ。
と、小一時間考えて、これが高校の授業であるという現実にもため息が漏れるのです。