Good Bye,Negative Girl

ガールなんて年齢ではありませんが、日々の備忘録代わりに。

【映画鑑賞記】ゲッペルスと私

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むかし、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーより軽かった」というドラマを観て、違和感を感じたのが最初だと思う。

 

ドラマの中で、体制側の中にいる少年を哀れな存在のように見せていたこと。大人から植え付けられた価値を疑いもなく信じている姿を、哀れんでいるように私は見えた。制作者の意図はわからないので、個人的な感想でしかないのでご容赦いただきたい。

 

私にはそれが無責任なことのように感じた。内容が変わっただけで、大人から植え付けられた価値を疑いもなく受け入れてはいないと言い切れる人間はどれだけいるだろう。少なくとも私は言い切れない。

 

それからだと思う。戦争をテーマにした創作物を観るにつけ、国民は被害者であるという描写が目立つようになったように感じる。

 

このドラマは10年前の2008年に放映された。その辺りから戦争体験談を語れる人たちが、当時は子供だった人たちに変わってきたのだと思う。その人たちは、こう言うしかない。「私たちは被害者だ」。

 

知らずに戦争に加担していることに、当時は気づくことができない。大人の言うことに、権力に抗うすべを知らないのだから仕方ないことだろう。抗うすべを知らないという点で、私たちと対になっているのはあの子供だ。あのとき戦争が終わったから、価値観が変わったことで、彼らは被害者となりえたが、私たちは今後、加害者になる可能性がある。

 

ゲッペルスの秘書だったポムゼムさんは、何度も若者に警鐘を鳴らす。「いまの若い人は当時を生きていたらこんなことをしないと言うけれど、無理よ」

 

10年前に抱いた違和感が、肯定される言葉だった。

 

いまを生きる私たちは、当時の日本人が滑稽に見えるかもしれない。でもこの姿は、私たちの合わせ鏡だ。空気を読んで、権威に媚び、自分の生活を守る。それのなにがいけないことか。自分の思い通りに生きている人間がどれだけいるのだろう。凡人以下の私には、なにが正義か語れる力などない。価値観が変われば正義も変わる。

 

撮影当時103歳だったポムゼムさんは、どちらかというと体制側であり加害者側だ。本人はそれを認める気はなく、語る言葉から無責任にも、無知すぎるようにも感じる。ホロコーストで命を落としたユダヤ人の友人のことをどう思っているのだろう。その事実だけは、どう言い逃れもできず苦しんできたようにも見えた。

 

いまを生きる私たちは、70年以上前に子供だった「被害者」から見たら、加害者側になる可能性がある。自分で考え行動する力を持たなければ、まずい状態にいる。

 

……

 

とは言ってもなー、自分が非力なこともわかってるのよ。これを読むあなたも。この駄文が少しでも考える契機になれば、幸せです。

 

(2018年7月4日鑑賞@岩波ホール

 

そうそう、「帰ってきたヒトラー」という映画も観たことがあるんですけど、私はこの映画のラストが好きです。ヒトラーが帰ってきたとしても、戦後の教育を受けてきた人々の良識を信じたいというようなセリフがあって、ドイツっぽくていいですよね。さて、日本は?