お疲れ様でした、おやすみなさい
「見たこと、思ったことを記録する必要がある」と思った出来事について書きたい。
7月2日に桂歌丸さんが亡くなった。子どものころから笑点が好きだった。
その日のTwitterのタイムラインで、歌丸さんについて書かれた、ある全国紙のネットニュースが流れていた。
有料記事で、出だしだけ読むと私も知っている出来事について書かれているようだった。もう記憶もあやふやになっているし、詳細を読みたかったので、有料登録することにした。しかし、その記事はとてもあやふやな記載が多く、期待はずれだった。
歌丸さんがあるときの浅草演芸ホールで、酔っ払いに注意したときの出来事なんだけど、微妙に私の記憶と違う。
私自身も記憶が曖昧だから、酔っ払いがいるということは、新春興行だったかもしれないし、あとは、6代目圓楽襲名披露に行ったことがあるので、歌丸さんを観たのは、このどちらかだろうと思っていた。
いつ、どのような機会でその寄席を見たかさえ書かれていない。新聞記事としてはおかしな点が多かった。その辺を明らかにしないと「妄想で書いたんじゃね?」とツッコミを入れられてもおかしくないものをどうしてアップしたのか不思議に思った。
記事には歌丸さんが「やめてください」と叫んだとあった。その記憶が私にはない。歌丸さんの出番前から騒がしい人がいて、ヨネスケさんに叱られていたことは覚えている。
歌丸さんの番になって、みんな期待の目で観ている。集中しているところで、空気が変わった。歌丸さんが誰かになにか言ったことはわかったけれど、叫んだとは思わなかった。
気持ち悪くなったので、昔、こまめに更新していたSNSに残してるんじゃないかと探してみた。そしたらあった。ログインIDもパスワードも覚えていて良かった。
それは、2010年4月の6代目圓楽さんの襲名披露の出来事だった。
「あんた、およしなさいよ」と歌丸さんがたしなめて、落語が中断したと書いてあった。このたおやかな言葉に、私はとても感動したのだ。遊郭で育ってきて、女性が化粧する形態模写をする芸も子どものころに観たことがあって、とても歌丸さんらしい言葉だと感じた。
だから、あの記事には違和感しかない。
その中断後、30年ぶりだと踊りだしたという記憶は同じだったので、おそらく別の日にあった似たような出来事、ということではないだろう。
私もそんなに詳しい落語ファンではない。きっともっと詳細に記録と記憶しているファンもいるのではないか。そういう人たちから見たら、あの記事も私のこの中途半端な記憶も噴飯もので、恥ずかしいものかもしれない。
こういうことがあって、冒頭の決意に至った。全国紙の記事は永遠に残るだろう。それが悔しくて、改めて私の記憶を残しておきたくなった。
歌丸さん、お疲れ様でした。おやすみなさい。