結婚しろと簡単に言っちゃいけない理由
最近、また政治家さんたちのセクハラ意識を問う声が大きくなっています。
「結婚しろ」と言うことが果たしてセクハラになるのか。
これはもう「セクシャル」なものではありませんよね。
「結婚しろ」という言葉がなぜいけないのかって、「人にはそれぞれ事情があること」を理解しているかという問題なのではないかと思うのです。
たとえば私なんて本当は結婚して子どもを産みたいのですが、母が精神疾患を抱えていたので、そのハードルはとても高いです。
「結婚しろ」とあの政治家さんに言われたら「私の母は頭がおかしいですけど、結婚してくれます?」と返答することでしょう。
ただ、世の中には「責任を持ちたくないから」「稼いだお金は自分の楽しみだけに使いたいから」という理由で、未婚を選び子どもも作らないと選択する個人や夫婦もいるようなので、そういう人たちには「結婚しろ(責任感を持て)」と言いたくなる気持ちはわからんでもないです。
(これも個人の自由、事情と言われればその通りなので、やっぱり言っちゃダメか)
あ、「結婚しろ」は最早セクハラではないと書きましたが、この言葉を使おうとしている人の意識が「結婚していないお前は女として魅力がない」だとしたら、それはセクハラです。
「結婚できない女(男)」という言葉がとても嫌いです。結婚していてもダメな奴はダメじゃないですか。もうみんな、それをわかっているはずなのに。
結局、似た者同士が結びつくので、結婚の有無が人間の優劣にならないはずなのに、どうしてその言葉が生まれたのでしょうかねえ。不思議です。