ヨコタさんの話
新潟市で幼少期を過ごした者ならば、必ず耳にするであろう人の名前。
ヨコタメグミさん。
12年前に北朝鮮で死んだことにされてしまった、拉致被害者の女性だ。
オトウサンのシゲルさんが、きのうお誕生日だったそうだ。80歳を過ぎている。
なんとなく思い出せるのは、古町での署名活動している姿や中学時代に同じ学年で別のクラスの担任がメグミさんと同級生で、街頭で演説をしていたと、だれからともなく聞かされた記憶。
そのメグミさんも今年で50歳と聞いて、自分の長兄と1個しか違わないことにいまごろ気づいた。
夏に毎日新聞の新潟版で、特定失踪者リストに入っている家族にインタビューする記事が連載されていた。
行方不明の家族がいるというのは、どのような思いが去来するものなのだろう。
姉が突如失踪した男性は「やくざの情婦になっているかもしれない」と想像を巡らせていたと語っていた。
生きていれば90歳という失踪者の家族は、生存を諦める気持ちでいた。
「理由がわからない」というのは恐ろしいことだと思う。
想像しても想像しても、答えにたどり着かない。それが10年、20年、30年…延々と続く。
死ぬまでたどり着けない。
新潟市で幼少期を過ごした者なら、きっとみんな一度は思っているはずだ。「メグミさん、帰ってくるといいね」
どうか、どうか。
11月に風邪を引く
新潟と東京の違いは11月が一番顕著だと思う。
新潟では11月はもう冬だ。
冬のコートを着なければならないと思う。
初めて過ごす東京の11月、それは5年前。
やはり11月だからと焦って冬のコートを買った。
通勤時間は約1時間。
満員電車はやたらと暑い。満員でなくても暖房がいい感じ。
汗をかく、身体が冷える。
風邪を引く。
ああ!ここは新潟じゃないんだ!と、気づいても後の祭り。
11月が一番服装に困る。
「ここは新潟じゃない」と思いながら「今年一番の冷え込みです」と天気予報に言われると身構える。
汗をかく、身体が冷える、風邪を引く。
5年目の今年こそ!と思っていたら、少し厚手の上着を着ただけなのに、会社のなかの暖房に負けて、汗、冷え、風邪。
東京の11月に慣れることができない。
来年の11月、私はどこにいるのだろう?
母は花が好きだった
母の話がしたい。
母は正気だった頃、植栽が好きだったらしい。
正気を失くした頃に物心ついた私は「植栽」とまでいかなくても、花が好きな母を知っている。
幼稚園の送り迎え、一緒に帰る昼下がり。
母とともに立ち寄るスーパーの花屋さんで母が花を買い求める。
メインの花は季節によって変わるが、大抵かすみ草がついていた気がする。
だから、母といえばかすみ草だ。
母の法名に「栽」の字が使われている。
一周忌にお寺さんに聞いてみた。
「母の仏前にいろんな花を飾りたいのですが、ルールはありますか?」
「和名のある花ということになってはいるけど…なんでも好きな花を飾りなさい」
さすが、なんでもありの浄土真宗だw
母の命日に小さなブーケを買ってみた。
痛んだので捨てて、思い出したらまた飾ろうと思っているのに、まだその日は来ない。
ダ×エーの思い出
嶽本野ばらの「下妻物語」で登場人物が「ジャスコはすごいんだぜ!」と語るシーンがあります。
私はジャスコよりダ×エーの方がすごいと思っていました。
新潟市の一等地にそびえ立つダ×エー。デパートのようなダ×エー。でもジャンル的にはスーパーのダ×エー。
家族や友達と時間があれば入り浸っていたダ×エー。
ダ×エーにはマジでなんでもあったのです。
でもあるとき、球団を売っぱらい全国各地のダ×エーが撤退していきました。我が街、新潟市のダ×エーも当然。
5年前、東京で働くことになりました。
営業は年寄りばかり集めた会社で、今時飛び込みが主体のなんとも胡散臭い会社。
そこに、ダ×エーで働いていたという60代のオトウサンがやってきました。
いつも威勢がよく、いろんな場面でキレまくっていました。
キレたからといって、売り上げがあがるわけでも物事が好転するわけでもありません。
キレる時間があるなら、仕事をしたほうがいいよなあと思うのです。
なんとなく、ダ×エーはこういう営業さんばかりだったのかなあと思うようになりました。
威勢だけがよく、口ばかりで実績が無く、たまにキレて見せて「オレやってます」アピール…。
会社に力がある時はそれでも十分なお給料をもらえたのでしょう。
結局、そのオトウサンは会社で不満を募らせた営業部長と「いっせーのせ!」で辞め、二人でさらに胡散臭い同業他社へ転職したそうです。
辞めた後にほかの営業さんによると、研修で同行すると「こんな会社、さっさとやめたほうがいいぜー」と吹き込んでいたそうです。
確かに底辺の会社でしたが「ダ×エーというブランドを背負った男のすることか」と考えさせられる出来事でした。
(この会社に在職中は「人として」の問題を悶々と考える日々でした)
ダ×エーと聞くと、幼い頃の甘い記憶と大人になってからの苦い記憶が蘇るようになりましたとさ。
おかあさん
母が亡くなって、もうすぐ1年が経とうとしています。
今週末が一周忌です。
母はとても家が好きだったようで、病院で息を引き取り自宅に帰り、セレモニーホールに移動するまで、3日は自宅で眠っていました。
もちろん、遺体は腐敗するもの。セレモニーホールに移動する前日に死に装束に着替えさせてもらったのですが、本来は身体も洗ってもらうものなのに、もう触ったら崩れるぐらいになっていたらしいので、納棺師の方はその辺はなにもしませんでした。
家に少しでも長くいたいがために、洗われなくてもいいというのは母らしいなと思いました(魂の思いがこの世に反映されるものならば)。
私自身、家にいる母に安心していました。
冷たくなった母の手を握ったりしました。
そういえば、きょうも新聞の読者コラムで「認知症になった母が爪にマニキュアを塗って乾かすような仕草で手遊びをする」という表現を読みながら、ああ、死ぬ前にマニキュアを塗ってあげればよかったなと、あの白い手を思い出していました。
セレモニーホールに移動しても、まだ母と一緒にいる気がして穏やかに受付にいたら、なにか勘違いしたいとこたちの緊張感のなさにムカついて「お前らの親が亡くなったときは神妙な面持ちで受付をやってやる」と正しい復讐心を燃やしていました。
心の均衡が崩れたのは、母の肉体を納めた棺が火葬炉に入れられていくところでした。
かあさんが いなくなってしまう
なんでしょう。経験したことのない喪失感が私を襲いました。
母は精神を病み、母ではなかったはずなのに、 くやしいくらい母親で私の中に君臨していたのです。
その後、母の「家にいたい」という願いが悪あがきをしたのか(魂が現世に影響をあたえられるのならば)、四十九日の納骨で墓が開かず結局一周忌まで遺骨を自宅に置くことになりました。
家に帰れば、母の遺骨がありました。母がいます。
時間が経って一周忌の日程が決まり、またあの時の喪失感が私の心をよぎります。
火葬場に佇むあの時よりは弱いかもしれませんが、家に当たり前のようにいた母が、今度こそいなくなるのです。
人間というのは、不思議なものでイヤな思い出はどこかへ消えて、温かな記憶だけが残るようになっているみたいです。
結婚しろと簡単に言っちゃいけない理由
最近、また政治家さんたちのセクハラ意識を問う声が大きくなっています。
「結婚しろ」と言うことが果たしてセクハラになるのか。
これはもう「セクシャル」なものではありませんよね。
「結婚しろ」という言葉がなぜいけないのかって、「人にはそれぞれ事情があること」を理解しているかという問題なのではないかと思うのです。
たとえば私なんて本当は結婚して子どもを産みたいのですが、母が精神疾患を抱えていたので、そのハードルはとても高いです。
「結婚しろ」とあの政治家さんに言われたら「私の母は頭がおかしいですけど、結婚してくれます?」と返答することでしょう。
ただ、世の中には「責任を持ちたくないから」「稼いだお金は自分の楽しみだけに使いたいから」という理由で、未婚を選び子どもも作らないと選択する個人や夫婦もいるようなので、そういう人たちには「結婚しろ(責任感を持て)」と言いたくなる気持ちはわからんでもないです。
(これも個人の自由、事情と言われればその通りなので、やっぱり言っちゃダメか)
あ、「結婚しろ」は最早セクハラではないと書きましたが、この言葉を使おうとしている人の意識が「結婚していないお前は女として魅力がない」だとしたら、それはセクハラです。
「結婚できない女(男)」という言葉がとても嫌いです。結婚していてもダメな奴はダメじゃないですか。もうみんな、それをわかっているはずなのに。
結局、似た者同士が結びつくので、結婚の有無が人間の優劣にならないはずなのに、どうしてその言葉が生まれたのでしょうかねえ。不思議です。
いないことにされている子どもたち
仕事で新聞をよく読みます。
数日前に某新聞のほんのちょっとしたコラムに、高校生が自分の子どもが生まれたことを想定した作文が掲載されていました。
虐待や高校生による殺人事件が起きている昨今なので、命の大切さを教える授業の一環なのでしょうが、私は血の気が引きました。
高校2年生のときに、母の奇行に耐えられなくなり、父に「入院させなければ学校辞めて家を出ます」とお手紙を書きました。言っても聞かないと思ったので、お手紙のほうが異常事態感が出るかなと思って。
結局は入院とはならず、私は先に家を出ていた長兄の元に身を寄せました。
こんな高校時代だったので、ぼーっと受けている授業がそのような流れになっていたら、走って逃げていたかもしれません。
いつからそう考えていたかは明確には覚えていませんが、私には結婚や出産という人生はないだろうな…とぼんやり考えていました。
多分、それは私だけではないと思うのです。
最近でこそ「毒親」とかそんな言葉を聞くようになりましたが、それでもまだ大きな声で話すことではないので、表面化しないのでしょうが、私のように親が精神疾患にかかっているケース、虐待を受けているケース、それも身体的な暴力、精神的な暴力さまざまあるでしょう。
そのような家庭環境でも「夢は結婚して、ささやかな家庭を育むの(ハート)」なんて言える子どもがいるなら、とんでもない鋼の心の持ち主です。
同じ教室にいる、キラキラと目を輝かせて将来の子どもへの想いを語る同級生を見ながら、この「いないことにされている子どもたち」はなにを考えるのだろう…と。
平然を装ってやり過ごしながら諦める?
なにもわかっちゃいない大人を睨みつける?
この世に闇なんてないと信じきっている幸せそうな同級生を羨む?
私だったら、どうするかなあ。
と、小一時間考えて、これが高校の授業であるという現実にもため息が漏れるのです。